本を読まざるをえない

やる気のないOLです。通勤中は本を読みます。

まるまるの毬/西條奈加

西加奈子西條奈加って字面が似てる。
私は西條奈加推します。

最初に西條奈加を読んだのは10年以上前、ぎりぎり小学生?くらいの時である。デビュー作はその名も金春屋ゴメス

金春屋ゴメス (新潮文庫)

金春屋ゴメス (新潮文庫)

↑単行本の表紙の方が好きだな。
ファンタジーノベル大賞を受賞したこの作品は、現代の日本にある江戸国の話。人気が高く入国、在住は規制されているか、主人公はそこに幸運にも入れ、そこで事件が起こり…という話。

金春屋ゴメス以来のファンである。

さて、今回読んだのは「まるまるの毬」。

まるまるの毬 (講談社文庫)

まるまるの毬 (講談社文庫)

これはファンタジーではなく、ほんとの時代小説。
江戸の街に小さな菓子屋を構える治兵衛と、その娘、孫娘や彼らを取り巻く人々の話である。人情物と言ってもいい。
治兵衛の菓子は人々に愛され、娘たちとも幸せな生活を送っているが、治兵衛には出生の秘密があり…。毎度何かごたごたが起きるが、それでも強く生きていく人々。短編連作集という感じである。
時代小説はけっこう好き。人々の考え方はかなり現代に近いけれど、生活はやはり違う、という江戸の営みが、絶妙にファンタジーとリアルの間をつく。しかも本作はごりごりの(おじいちゃんが読んでいそうな??)時代小説でもなく、若者でもすっと入り込める。
さらに、お菓子の描写がなんとも魅力的である。表題になった「まるまるの毬」のまるまるとは、女房言葉で餅をさす。餅に、毬に見立てた米などをくっつけたお菓子がまるまるの毬。
その他にも美味しそうなお菓子がたくさん登場し、楽しい楽しい。

さて、これはファンタジーではない。ファンタジーといえば今春屋ゴメスとその続編くらいだろうか?
あとは、時代小説が何冊かと、歴史小説、現代が舞台のものも書いており、守備範囲が広い。現代物は読んでいないので、そろそろいってみたい。

太陽の坐る場所/辻村深月

太陽の坐る場所 (文春文庫)

太陽の坐る場所 (文春文庫)

辻村深月。「冷たい校舎の時はとまる」「凍りのくじら」などで瞬く間に地位を築いた。
初期作品の特徴は、少年少女が主人公で、ミステリーものという印象が強い。ミステリーと言っても、たとえば殺人事件が起こって、というのではなく、辻村深月が叙述力をもって読者に挑戦を突きつけるタイプ。ラストになると「そういうことだったのか、辻村深月の罠にはまっていた!」と気づかされるのだ。そしてその筆はどこかしらふわっとした物を感じさせた。主人公が少年少女だからか。

しかし、なかなかズシッとした文を書くことが増えたように思う。「盲目的な恋と友情」や、そしてこの「太陽の坐る場所」。何がズシッて、人の内面が。エゴや弱さも書き出す。そしてそっと、読者への罠も忘れない。

この「太陽の坐る場所」は、キョウコの話である。女優となり、高校時代のクラスメートから噂される、キョウコ。

冒頭に、キョウコの高校時代の一幕。そして場面は同窓会へ。「『キョウコ』は今回も来ないの?」と。
はじめの主人公は聡美で、きれいだ美人だと言われ、演劇もなかなか本気に打ち込んできた。だからこそ思う、「『キョウコ』は私のはずだった」と。自分が必死に守っているもの、自分が見下しているものの間で、葛藤が描かれる。
そして主人公は別の同級生へとバトンタッチ、クラスのあらたな側面が見えてくるというわけである。

やはり安定的な面白さ。
個人的には、「本日は大安なり」のようなポップな感じも好きだが、
これはこれで、人の内面を上手く書き出していて良い。

Nのために/湊かなえ

湊かなえをとうとう読んだ」と母に言ったら、むしろ読んだことなかったの?と驚かれた。
そうですよね、今さら読みました。今まで避。湊かなえって、ドロドロしているイメージ。たぶん避けていた。

ついに手に取った湊かなえ作品、選ばれたのは「Nのために」。
ドラマ化したことも記憶にあり、あらすじを読んでも比較的ひかれるものがあったからである。


Nのために (双葉文庫)

Nのために (双葉文庫)

あらすじはと言うと、タワーマンションの一室で殺人事件が起きる。その部屋の住人である二人が殺され、そこに居合わせた4人のイニシャルNたち。それぞれの愛するNのために、それぞれが小さな嘘をつく。

いきなり殺人事件が起き、犯人が逮捕され、判決がくだる。これで一気に第1章が終わる。
そこから、それぞれのNの、ことの始まり、事件の当日が回想され、そして10年後(現在)が少しだけ描かれる。

まず思ったのは、うまい。
避けていたけれど、人気な作家さんだけあって書くのがうまい。先はなんだ?と気がはやるのだ。
また、各章ごとに人がかわって、今まで見えて来なかった場面が見えてくる、というのは恩田陸に通じるものがある(ただし、恩田陸の方が上手く、そして恐ろしい)。
とにかくページをめくるしかなくなる。続きが気になる。

ただ、疑問も少し残る。名前がNである必要はあるのか?題名から決めたのだろうか。
回収できていない謎もいくつかあった気がする。
もっと上手く、ミステリー要素というか、読者の度肝を抜けたのでは?

とはいえ、面白いことは面白いと感じた。
「告白」と比べると…、という声もちらほら聞こえる。私も続けて告白を読んでみたが、個人的には文章の書き方はこちらの方がすきです。巧妙さは書けるかもしれないけど、うーん文章で読ませる力がある。

炎路を行く者ー守り人作品集ー/上橋菜穂子

守り人シリーズは私が小学四年生の時にはじめて読んだ。

なんと13年も前である。が、「精霊の守り人」を読んだときの心の高鳴りと、上橋さんへの敬愛の気持ちが沸き起こったのは、ついこの前のことのようだ。

 

上橋さんの書く世界はほんとにすばらしい。これぞハイファンタジー。バルサが蓄えている保存食や森の歩き方にわくわくし、異世界におののく。

語感も上橋菜穂子の世界を作り上げていく。ヨゴ、チャグム、ユナグ。一体どこの国なんだろうか。わかるのは、この世界とは全然違うということだ。ここまで作り上げているのがすごい。もう小学生の私は絶賛した。

児童書に分類されるはずだが、こどもをなめていない、魂のこもった一作である。

 

上橋さんの名前はどんどん有名になり、獣の奏者や鹿の王など、本当にポピュラーになった。

しかしどうしても精霊の守り人とそれに連なるシリーズは読んでほしい。はずせない。

 

しかし、炎路を行く者が出ていることに気づいていなかった。そんなバカなことある??

でもやっぱり読んでいなかったみたいでなかなかショックを受けつつ読んだ。

なんせ本シリーズをちゃんと読んだのは10年以上も前なので、あまりシリーズ本筋に触れないでいきます…。

 

炎路を行く者は守り人シリーズの外伝的な一冊。

今回の主人公は、少年時代のアラユタン・ヒュウゴ、そしてちょこっとバルサの若い頃の話もある。

 

ヒュウゴはヨゴ皇国(新ヨゴ皇国ではなく、昔滅ぼされた国)の出身である。こどもと言える年齢の頃に彼の国が滅ぼされ、そしてタルシュ軍に入るところまでを描いた話が「炎路の旅人」であり、本作に収録されている。

高位の武人である父に、国皇のためにあれと日々教えられて来たヒュウゴ。しかし徐々に他国を攻めていたタルシュ帝国により、ヨゴも落とされ枝国となってしまう。武人であるがためにタルシュに家族は惨殺されたが、ヒュウゴだけは命からがらタルシュ軍の襲来から逃げ出す。そんな時に助けてくれた父娘がいた。

絶望、葛藤、一体自分は何をして生きていきたいのか、といった心の機微を、細かに綴っている。ファンタジーというと派手なところに目が向きがちだが、市井の人をリアルに書き出すのが上橋さんである。

 

ヒュウゴの話が半分以上だが、そのあとバルサが若い頃の話が出てくる。

実はこっちはまだ読んでいない。久々にバルサに会うからどきどきしている。近いうちに読もうと思う。

冷静と情熱のあいだーRosso・Bluー/江國香織・辻仁成

北千住は私の通勤における関門である。

そう、乗り換えだ。一回本を閉じ(るかはわからないが)、人波に飲まれつつも満員電車から満員電車へと、高い技術を持って乗り継がなければならない。

さて、そんな北千住駅ではたまに良いことがある。改札前に突如出現する、某TSUTAなんとかさんの古本市だ。お金はないが読む本は多い私、喜び勇み、いそいそと近寄って、仕事より数段熱心に物色を始める。そして、第六感に従って、これはという本を抜き取っていく。

冷静と情熱のあいだ」はそのようにして手に入れた一冊(いや二冊)である。(恥ずかしながら、二冊であるということを当初わかっていなかった。)

 

最初にご紹介しておくと、これは江國香織辻仁成による恋愛小説である。両者が交互に雑誌へ連載していくという、共作の形を取った。1999年に本として出版されるとベストセラーとなり、映画化もされた。

この作品、1993年生まれの私でも知っているほど有名ではあり、当時それほどに話題となったのであろうことがうかがえる。しかし、私は読んでみて、「あ〜昔流行ったよね、なんでだかわからなかったけど。ノリかな?」みたいな作品ではなく、とてもすばらしいと感じた。共作による何とも言えない効果がすばらしい。そして、読むならRosso→Bluの順だ。より身を入れて楽しみたいなら、Rosso→BluRossoBlu...と章ごとに交互に読むのも良いだろう。

 

主人公は一組の男女、あおいと順正物語は1995年のイタリアからはじまる。

あおいには、マーヴィンという非の打ち所のない恋人がいた。あおいのことを本当に愛しており、紳士的で、お金や物という面でも満たされている。

私は江國香織が苦手である。その確かな筆で書き出す女性のリアルな虚無感には絶望してしまうからだ。例えばあおいの場合は、毎日長いことお風呂に入り、本を読み、そしてジュエリーショップのパートへ行く。マーヴィンと結婚する気はない。打ちひしがれている訳ではないが、日常を薄く包み込む虚無感が確かにあるのだ。そしてあおいの心の中には、大学時代の恋人、順正の存在が静かに在った。

一方順正は、フィレンツェで絵の修復師をしていた。たしかな才能があり、日々絵と向かい合っていた。順正には芽実という恋人がいた。芽実の少し子どもっぽい立ち振る舞いは、とてもわかりやすく「順正が好き」ということを物語っている。しかし、順正は忘れられなかったのだ、あおいのことを。

かつて恋人だった二人には、たわいもない約束があった。10年後のあおいの誕生日に、フィレンツェのドゥオモに一緒に登ろう、というものだ。フィレンツェのドゥオモは恋人たちのドゥオモだから。あおいと順正は、「あんな約束、もう覚えていないだろう」と思いつつ、その日を心のどこかで意識している。完全に終わった恋の、その後に残された小さな約束を握りしめている二人。物語は、2000年の5月、あおいの30歳の誕生日へと向かっていく。

 

江國香織の描くRossoは、本当に「何もない」といいたくなる。あおいの日常は静かで、凪いでいて、それがどこまでも続いている。そんなあおいの心にひとつだけある情熱が、順正なのだ。

一方辻によるBluは、あおいに比べるとざっくばらんな文章でかかれている。芽実には女性として魅力を感じていること、でも唯一の人といえばあおいであること。芽実の「どうして私じゃだめなの?」という問いかけに共感する人も多いだろう(マーヴィンだって同じ立場である)。私は好きなのに、どうしてあなたは昔の人なんか気にするの?私を見て!と率直に告げる芽実の存在にはぐっとくる。

 

RossoとBlu、対比が本当に面白い。たとえば、Bluでは「あおいのことがまだ忘れられない」とすぐに順正が述べている。しかしRossoでは、本編の前に5行語られたあと、順正のことはなかなか出てこない。なかなか出てこない、というのはすごくないだろうか。感銘を受けた。ずっと日常が語られたあと、きっかけがあり順正のことが綴られ始めるのだ。才気がすごい。

二人の作家による掛け合いがこれまた絶妙で、空気感も全く異なり、二人の異なる人間の存在をリアルに想像できるのが本作のすばらしさだと思う。

また、二人は物語中、何回かすこしだけ接点を持つ。秒速5センチメートル並の切なさをもたらし、そして「この時相手はこう考えていたんだなあ」としみじみしてしまう。

 

ちなみに、竹野内豊とケリーチャンによって映画化もされた。私も観てみた。

あおいが留学生になっていたりと、多少オリジナルが入っている。

movies.yahoo.co.jp

順正による冒頭の語り口があっけらかんとしていたり、あおいの反応が思ったより淡白じゃなかったりしたが、イタリアのきれいな街並みと、あと竹野内豊かっこいい。もう一度いうけどかっこいい。そしてエンヤの音楽も素敵です。


『Wild Child』  Enya

 

さいごに、Rossoの冒頭だけご紹介する。

阿形順正は、私のすべてだった。

あの瞳も、あの声も、ふいに孤独の陰がさすあの笑顔も。

もしもどこかで順正が死んだら、私にはきっとそれがわかると思う。どんなに遠くはなれていても。

二度と会うことはなくても。

この5行だけで泣けそうだ。

苦しいほどの愛の物語である。

夜明けの街で/東野圭吾

どうしても次に読む本が見つからないとき、必殺技として選ぶ作家が私には数人いる。

 

東野圭吾はその一人である。

 

なんと言ってもその安定感。そして作品数の多さ。

とりあえず読んでおこう、間違いはない、というわけである。

 

あらすじはAmazonから引っ張ってこよう。

不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた。ところが僕はその台詞を自分に対して発しなければならなくなる―。建設会社に勤める渡部は、派遣社員の仲西秋葉と不倫の恋に墜ちた。2人の仲は急速に深まり、渡部は彼女が抱える複雑な事情を知ることになる。15年前、父親の愛人が殺される事件が起こり、秋葉はその容疑者とされているのだ。彼女は真犯人なのか?渡部の心は揺れ動く。まもなく事件は時効を迎えようとしていた…。

そう、これは不倫の話である。

「不倫を絡めたミステリーか…」と思って読みはじめたものの、6割方が不倫の話だ。

2011年には、「東野圭吾初のラブストーリー」「この恋は、甘い地獄。」と銘打ってドラマ化されたようである(知らなかった)。岸谷五朗深キョンである。

eiga.com

 

主人公の渡部はごくごく普通の会社員。妻子持ちだ。

しかし、彼が勤める会社に仲西秋葉が契約社員として来たことから、「甘い地獄」がスタートする。

この秋葉、100パーセントかわいい、という感じでは書かれていない。そこがリアルだ。

つきあうきっかけとなったのは秋葉が一人でバッティングセンターにいたからだし、飲んではいてしまったり、「結婚しない人とは付き合わない」と言い切る31歳だったりと、何ともいい具合にリアルな存在。

だが渡部にとっては恋いこがれる相手となる。今の生活を捨てるなんてばかだ、と思いつつ、深みにはまっていく。

そんな甘い地獄のなかに、引っかかりがあった。秋葉の実家で昔起きた殺人事件のことである。その事件は、もうすぐ時効を迎える。容疑者として、秋葉その人がいた。

とまあ、不倫相手はもしや殺人犯なのか?という点でミステリー要素が入っているが、6割7分くらいは不倫の話だ。「目を覚ませ渡部!」とか、「あーやっちまったよ」とか、主人公が堕ちていくのを憐れんだりなんだりしながら読む。もう不倫の描写が手に汗にぎる。嫁さんのもとへ早く帰れ!と叫びそうになる。不倫はいろいろぶちこわすということを教えてくれる本だ。

余談だが、秋葉という名前が絶妙に東野圭吾だと思う。例えば舞子とか加代とか早紀とかではない。秋葉。イメージするのは、深キョンよりも強めな女性である。

 

もう一度恋がしたい。男に戻りたい。

そういう夢を抱いた男の物語といってもいい。

東野圭吾はこういう描心理描写もうまい。

蜜蜂と遠雷/恩田陸 〜恩田陸についてあれこれ〜

読んだ。

ミーハーと言われようとも読んだ。

言わずと知れた恩田陸の、言わずと知れた直木賞受賞作である。

あらすじは幻冬舎のサイトから引っ張ってこよう。

俺はまだ、神に愛されているだろうか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、
そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。
養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。
彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

 

だいたいこのような話である。間違いない。青春群像小説というのも正しいだろう。

なぜこんなことを言うのかという理由は、恩田陸の作風にある。

恩田陸はなかなか好きで、25作品以上読んではいるみたいなのが、

真っ先に思い浮かべる作品は、なにかうごめいているようなミステリーもしくは若干のホラー的な要素が入っているものである。

いや、ミステリーやホラーというのも正しくはないのかもしれない。何かがうごめいている、しかしそれが何なのかははっきりとは読者にはわからない、わからないが確かにあるそれを取り巻く人々によって話が進んでいく、というものである。章ごとに主人公が変わり、前章とは全然違う風景が見えてきたことに裏切りを感じ、ひやっとさせられ、あらすじを読んだときに「なるほど、こんな話か」と思ったのとは全く異なる印象を受けて読了に至るのだ。

ぞくり、ひやり、にかき立てられ、読者は引き込まれる。最高のストーリーテラーだと思う。

恩田陸の考察としては、文庫版「夏の名残の薔薇」の解説である、杉江松恋さんの文章がとても印象に残っている。すばらしく的確だと感じた。「主人公たちの記憶の中の事件を回顧する」「三人称他視点の効果」など。)

そういう場合、あらすじは読んでも何も参考にならない。

しかし、恩田陸はそんなぞくりひやり系以外にもかけるのだ。そして非常に面白いのだ。例えば、非常に多くの登場人物によるドタバタ劇を描いた「ドミノ」、突如現れた無名の天才女優が主人公である「チョコレートコスモス」など。

そう、チョコレートコスモス。激しく面白かった。私のページを繰る手を止めてくれない。

え、そういえば「蜜蜂と遠雷」。これもなかなか似たテーマでは? というわけで読んだのである。

 

まず表紙がいい。うっとりしてしまう。

蜜蜂と遠雷というよくわかんないタイトルもいい。出版社は「青春」と銘打っているのに、なんというか激しい。

本の造りもいい、細々した表が載っていたり。読む前からわくわくする。

話は、芳ヶ江国際ピアノコンクールの前、パリでのオーディションから始まる。ここを通過すればコンクールに出場できる、というものである。そこに現れた一人の無名の少年、カザマ。その、快楽と破壊を併せ持つ天才的な演奏。そして、今は亡き偉大な音楽家からの紹介状。

皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。
文字通り、彼は「ギフト」である。
恐らくは、天から我々への。
だが勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵なのではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。

 審査員を混乱におとしめつつ(彼はあくまで自由であり、そんな気はないのだが)、彼はコンクールへと駒を進める。

そこでまあ、あらすじにある通り他の天才たちも加わり、激しく狂おしく美しいコンクールの舞台が始まるのだ。

先に言っておこう、おそらく恩田陸はこの作品に長い年月をかけた。インタビューでも話しているが。

hon.bunshun.jp

だから、最初と最後で設定のぶれを多少(ほんと多少だよ)感じることもなくはない。

だが、恩田陸は「話にきちんと落としどころを付けて終わらなければいけない、という考えはなくなった」(杉江松恋さんの解説より)というような趣旨のことを語っており、事実「え、これで終わるの?(もやもや)」という作品も少なくない。起承転結の決を重んじがちな私には、もやっとすることもある。しかし、それでも有り余る「過程」の面白さがあるのが恩田陸だ。

 だから、ぶれとかそういう細かいことは気にしないで読んでいこう。

まず言えるのは、この作品は”フォルテ”だ。激しい。フォルテフォルテフォルテ。

もちろん主人公たちの心の機微など描いた、繊細な場面もあるのだが、演奏に関する描写があまりにも印象的である。津波のように押し寄せる力強い音楽、それを聴く者の揺さぶられる心。激しい。

そして、一文一文がなかなかに美しい。登場人物の感動を描写するシーンに感動する。別に悲しいことは一つもないのに、上島珈琲でサンドイッチをむさぼりつつ読み、私は泣いた。音楽のパワーに。私が同期していく、主人公たちの感情の高まりに。恩田陸の才能に。

本は二段組みだ。章は細かく区切られ、章の名前には様々な曲名が当てられている。それがなんだか、むっちり感と加速感をあたえてくれる。ストーリーとして読ませるというより、人々の感情だの音楽のすばらしさだのの渦に巻き込まれて出られない、という本だ。乗ったジェットコースターからは一周回るまでおりられないの並に、芳ヶ江のコンクールは本戦を終えるまでノンストップで、私の中にあり続ける。